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政治家の言葉 (オバマ米大統領と麻生首相)

 NHK解説委員室ブログ (2009/2/19) に興味深い記事 (視点・論点 「オバマと麻生・政治家の言葉」) が掲載されていますので紹介します。

●視点・論点 「オバマと麻生・政治家の言葉」 (立命館大学大学院教授 東 照二)

①アメリカでは、先月 (2009年1月)、オバマ新大統領が就任しました。就任演説を聞いて深く感銘を受けた方も多かったのではないでしょうか。
 考えてみますと、オバマ大統領は、日本の政治家ではありません。それなのに、なぜ私たちはこれほど惹きつけられたのでしょうか。
 この答えのヒントは、皮肉にも、演説翌日の麻生首相のコメントにあるような気がしてなりません。
 麻生首相は、マスコミから、感想を求められて、自分とオバマ大統領は、二つの点で、似ていると述べています。
 一つは、経済危機に対する考え方が同じである、もう一つは、国民の 「潜在力」 を引き出す手法も同じである、というわけです。
 しかしながら、どうもこれは麻生首相の「勘違い」ではないでしょうか。

②まず、経済危機についてですが、確かに、これはアメリカ、そして世界が直面する最も大きな問題の一つであることは言うまでもありません。
 しかし、オバマ大統領の演説は、経済危機を一つのケースとして、それを超えた、もっと、国民、人間としての誇り、責任、義務、自信、希望といったものについて熱く語った演説だということです。
 個別的な経済政策を述べた演説ではなく、もっと根源的で、哲学的な方向性、可能性、未来像、ビジョンを述べた演説だったわけです。
 そして、まさに、この部分に私たちは、国境、言語を越えて、強く感銘を受けたといえるでしょう。

③さらに、もう一つのポイント、国民の 「潜在力」 を引き出す手法が同じであるという麻生首相のコメントですが、実は、これ、むしろ逆、水と油ほどに、まったく違うものです。
 それは、手短に言いますと、オバマ大統領は、聞き手を巻き込み、共感、仲間意識を盛り上げる 「聞き手中心」 の言葉であるのに対し、麻生首相は自分、「話し手中心」 の言葉であるということです。
 この違いを端的にあらわしているのが、オバマ大統領の”Yes We Can”に象徴される 「私たち」 であり、麻生首相の 「私が決断します」 に象徴される 「私」 です。
 このグラフ (註:ここでは省略) は、オバマ大統領の就任演説、そして麻生首相の就任直後の所信表明演説をもとにして、二人の 「私」、「私たち」 の相対的な使用頻度を調べたものです。
 ごらんの通り、二人の差は、明らかです。オバマ大統領の 「we (私たち)」、麻生首相の 「私」 、それは、包括と排除の構図といってもいいでしょう。

文例1.オバマ大統領 (”We” 「私たち」)

 ◎This is the journey we continue today. (これは、私たちが今日も続ける旅な
  のです)。
 ◎All this we can do. (これらすべて、私たちは、できるのです)。
 ◎All this we will do. (これらすべて、私たちは、するのです)。

⑤オバマ大統領の言葉は、聞き手との仲間意識を象徴する 「私たち」 が演説のなかで何度も繰り返されることによって、強調、増幅され、あたかも水が乾いた地面にしみ込んでいくかのように、聞き手の中に深く入り込み、話し手と聞き手が一体になっていくわけです。

文例2.麻生首相 (「私」)

 ◎私は、自由民主党と公明党の連立政権の基盤に立ち、責任と実行力ある政
  治を行うことを、国民の皆様にお誓いします。
 ◎私は、ここに頭を垂れ、国民のご理解、ご協力を請い願うものです。
 ◎私が決断します。

⑦これに対し、麻生首相の言葉は、話し手個人を強調する 「私」 のオンパレードだといってもいいでしょう。「私」 がお誓いをし、「私」 が請い願い、「私」 が決断する、というわけです。
 そこでは、「私」 がリードする人であり、聞き手は受身的に 「私」 に協力する人、という関係になり、話し手と聞き手の間の距離は開いたままです。
 つまるところ、麻生首相と比較してみると、オバマ大統領はつねに聞き手を巻き込み、聞き手と一体になる。そして、それは、仲間意識、あるいは共感を盛り上げる 「聞き手中心」 の言葉だといえるでしょう。
 さらに、オバマ大統領の演説の特筆すべき点は、経済対策という政策的課題ではなく、アメリカ国民としての誇り、責任、価値観、歴史観といった哲学的なメッセージをわかりやすい言葉で述べたのだということです。

⑧これは、とても重要なポイントだと思います。というのも、往々にして、私たちは、細かい情報や政策中心の語りである 「リポート・トーク」 より、もっと心理的、情緒的で、共感中心の 「ラポート・トーク」 に強く感銘を受け、惹かれていくからです。
 そもそも、考えてみても、無味乾燥な細かい数字や政策の数々に、ぐいぐい惹かれて、深い感動を覚える人、というのは、まずいないのではないでしょうか。
 それよりも、共通の価値観、自信、希望が、ブレることなく、力強く、かつ真剣に、心の底から語られるときに、われわれは深く感銘し、惹かれていくのだといえるでしょう。
 情報中心のリポート・トークではなく、誠実で真剣な、共感中心のラポート・トークにこそ、私たちは心を揺り動かされるわけです。
 このグラフ (註:ここでは省略) は、二人の演説で、それぞれリポート・トークとラポート・トークの頻度を調べてみたものです。
 まるで絵に描いたように、好対照の二人だといえるでしょう。オバマ大統領はラポート・トーク麻生首相はリポート・トークだということがわかります。

文例3.オバマ大統領 (ラポート・トーク)

 ◎ On this day, we gather because we have chosen hope over fear, unity of
   purpose over conflict and discord. (今日この日に、私たちは恐れではなく
   希望を、摩擦や軋轢ではなく目標の共有を選んだからこそ、ここにこう
   やって集まっているのです)。

オバマ大統領の、「今日、この日、私たちは、恐れではなく希望を、摩擦や軋轢ではなく目標の共有を選んだからこそ、ここに集まっているのです」、という呼びかけは、聞き手に勇気、自信、希望を呼び起こし、仲間意識を盛り上げるラポート・トークだといえます。
 一方、麻生首相の演説は、圧倒的に、政策、情報中心のリポート・トークとなっています。

文例4.麻生首相 (リポート・トーク)

 ◎最低賃金の引上げと、労働者派遣制度の見直しも進めます。
 ◎「新経済成長戦略」 を強力に推し進めます。
 ◎50パーセントの自給率を目指します。

⑫これらは、各省庁から寄せ集められたバラバラの政策を、ただ単に羅列したリストのようでもあり、聞き手をぐんぐんひきつけ、一体感を作り上げ、深い感銘を与えるといったような言葉ではありません。演説全体をつらぬく、大きなテーマ、底を脈打ち、私たちに響いてくるような発展性、物語性というものがありません
 もっとも、麻生首相の演説にも、情緒的なラポート・トーク、らしきもの、がないわけではありません。

文例5.麻生首相 (「私」 の“ラポート・トーク”)

 ◎私は、悲観しません。
 ◎私は、日本と日本人の底力に、一点の疑問も抱いたことがありません。
 ◎私は、決して逃げません。

⑭これらは、日本人の 「底力」 を信じ、難局を乗り切っていこうという楽観主義、強い自信、信念の表れです。
 ところが、すべて 「私は」 という言葉で始まるように、話し手個人の決意表明を述べただけで、それが演説のなかで聞き手を巻き込みながら、有機的な広がりを持ち、発展していくものではありません。聞き手との 「つながり」 がなければ、それはラポート・トークとしては成功しないわけです。

⑮ここまで考えてきますと、言葉とは、その人がだれなのか、またどこへ行こうとしているのかを映す鏡のようなものです。
 オバマ大統領は、「新しい責任の時代」 (a new era of responsibility) という言葉で、国民共通の未来像を定義し、変革、行動を促し、アメリカ人としての誇り、希望を鼓舞し、祝福したのだといえます。
 そしてそれを可能にしたものはズバリ、聞き手を巻き込み、仲間意識を盛り上げる、誠実で真摯なラポート・トークにあったのだといえるでしょう。
 オバマ大統領の言葉は、一言で言うと、自分が光り輝くのではなく、相手を光り輝かせる言葉だったのであり、それがもとで、私たち聴衆が、自ら光り輝く体験をした、そして、だからこそオバマ大統領も光り輝いてみえた、これがことの真相だったのではないでしょうか。


 上記に関する当ブログ管理人の考察・結論は、下記の通りです。

(1)オバマ大統領の演説を聴くと、いつも深い感銘を受けます。一方、麻生首相の演説を聴いても、全く感銘を受けないばかりか、違和感・嫌悪感さえ抱くことがあります。
 それは、上記③で述べられている 「We」 と 「私」 との違いだけでは説明できないのではないかと思っていました。
 上記②で述べられている 「オバマ演説の奥の深さ」 (経済危機を一つのケースとして、それを超えた、もっと、国民、人間としての誇り、責任、義務、自信、希望といったものについて熱く語った演説。個別的な経済政策を述べた演説ではなく、もっと根源的で、哲学的な方向性、可能性、未来像、ビジョンを述べた演説) を読んで、疑問が氷解しました。
 一方、「麻生首相の演説の奥の浅さ・空疎さ」 が際立ちます。

(2)上記④では、オバマ大統領は、聞き手を巻き込み、共感、仲間意識を盛り上げる 「聞き手中心」 の言葉であるのに対し、麻生首相は自分、「話し手中心」 の言葉であると述べられています。
 この違いを端的にあらわしているのが、オバマ大統領の”Yes We Can”に象徴される 「私たち」 であり、麻生首相の 「私が決断します」 に象徴される 「私」 です。
 したがって、上記⑤の通り、オバマ大統領の言葉は、聞き手との仲間意識を象徴する 「私たち」 が演説のなかで何度も繰り返されることによって、強調、増幅され、あたかも水が乾いた地面にしみ込んでいくかのように、聞き手の中に深く入り込み、話し手と聞き手が一体になっていきます。

(3)これに対して、上記⑦の通り、麻生首相の言葉は、話し手個人を強調する 「私」 のオンパレードであり、「私」 がお誓いをし、「私」 が請い願い、「私」 が決断する、という、ある意味では上から目線・不遜・謙虚さが無い演説と思われます。
 したがって、麻生首相の場合、「私」 がリードする人であり、聞き手は受身的に 「私」 に協力する人、という関係になり、話し手と聞き手の間の距離は開いたままとなります。
 麻生首相は、「私」 を多用して、自分の強いリーダーシップをアピールしたいのでしょうが、逆に、空回りしていると思われます。

(4)上記⑧は、別の視点からの考察であり、細かい情報や政策中心の語りである 「リポート・トーク」 と異なり、オバマ大統領の演説は、より心理的、情緒的で、共感中心の 「ラポート・トーク」 であり、聴衆は強く感銘を受け、惹かれていくと述べています。
 やはり、共通の価値観、自信、希望が、ブレることなく、力強く、かつ真剣に、心の底から語られるときに、われわれは深く感銘し、惹かれていくと思います。即ち、情報中心のリポート・トークではなく、誠実で真剣な、共感中心のラポート・トークにこそ、私たちは心を揺り動かされると言えます。
 上記⑩の、オバマ大統領の、「今日、この日、私たちは、恐れではなく希望を、摩擦や軋轢ではなく目標の共有を選んだからこそ、ここに集まっているのです」、という呼びかけは、聞き手に勇気、自信、希望を呼び起こし、仲間意識を盛り上げる典型的なラポート・トークだと言えます。
 一方、麻生首相の演説は、圧倒的に、政策、情報中心のリポート・トークとなっています。それも、上記⑫で述べられているように、各省庁から寄せ集められたバラバラの政策を、ただ単に羅列したリストのようなリポート・トークであり、聴衆をぐんぐんひきつけ、一体感を作り上げ、深い感銘を与えるといったような言葉ではなく、演説全体をつらぬく、大きなテーマ、底を脈打ち、私たちに響いてくるような発展性、物語性というものが全くありません。

(5)上記⑮で次のように総括されています。

 (a) 言葉とは、その人が誰なのか、またどこへ行こうとしているのかを映す鏡
  ようなものである。
 (b) オバマ大統領は、「新しい責任の時代」 (a new era of responsibility) という言葉
  で、国民共通の未来像を定義し、変革、行動を促し、アメリカ人としての誇り、
  希望を鼓舞し、祝福したのだといえます。そしてそれを可能にしたものはズバ
  リ、聞き手を巻き込み、仲間意識を盛り上げる、誠実で真摯なラポート・トー
  ク
にあったのだといえるでしょう。
 (c) オバマ大統領の言葉は、一言で言うと、自分が光り輝くのではなく、相手を
  光り輝かせる言葉
だったのであり、それがもとで、私たち聴衆が、自ら光り輝
  く体験
をした、そして、だからこそオバマ大統領も光り輝いてみえた、これが
  ことの真相だったのではないでしょうか。

(6)上記(1)~(5)のファクターが、オバマ大統領の高い支持率 (68%)麻生首相の非常に低い内閣支持率 (11%) に如実に表れていると考えられます。

(7)以上、NHKの視点・論点 「オバマと麻生・政治家の言葉」 について論じました。

 医療においても、上記の議論は応用できると思います。

 即ち、以前のパターナリズム (父権的権威主義) の医療では、医師・患者関係は、上下関係であり、コミュニケーションも、一方的な医師からのもの (「私」 やリポート・トーク) でした。

 しかし、最近の医療では、 医師・患者関係は、同等の関係であり、パートナーシップ、協働、患者・家族も含めたチーム医療が必要です。そして、コミュニケーションも、双方向性、「We」、ラポート・トークが肝要です。
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